世界の人間交差点、グランドセントラル駅。
かつて自分が住んでいたアパートの最寄り駅でもある
この巨大な駅に来ると、
決まってなんだかおセンチになる。
昔の記憶のせいなのか。
人の流れのせいなのか。
現在の最寄りの駅で、毎度電車のドアが開いた瞬間に繰り広げられる「イス取りワールドカップ」。が、昨日は乗降の流れに乗るだけで、
すんなりと硬く冷たい板ベンチに辿り着く。
暫くその亜脱臼級の揺れに体を預けていると(預けざるを得ず、不本意に)、
どこからか鼻をすする音。
見回してみると、すぐに特定される発信元。
…橋本の隣。
さほど年齢変わらないラテン系の女性が、うずくまり、鼻をすすっている。
そのリズム感のない「鼻歌」聞きながら思い出すは、かつて揺られた東京までの通勤電車。
季節は違えど、
橋本にも小田急線時代に同じ経験があったな、と。
朝の5時半。
新宿までの席をゲットするため寒空の中を20分待ち、ようやく乗車許される暖かい車内。
さすれば出るわ出るわ、寒暖差ゆえの鼻汁。
毎度きちんと反省するのに度々ティッシュ忘れ、
「出た子」を橋本ダイソンで引っ込ますも、
当時橋本の片方の鼻は
『そ』の字に曲がった欠陥品だったゆえ
(「鼻中隔湾曲症」なる鼻の骨が曲がる症状)、
吸引力は何どうしても重力に勝つことなく、
新百合ケ丘で鼻の蛇口は
「クラシアン」呼びたくなるほどの惨事。
終点新宿に着く頃にゃ、
小田急線沿いの結婚諦めるほどのホニャララ。
そんな心の底からどうでもいい思い出に打ちひしがれながら、
隣の音痴がなかなか歌い終わらんこと気にしていたところ、
なんと彼女。
橋本のスイートメモリー吹っ飛ばすほどの
嗚咽を上げて泣き始める。
それはもう気持ちいいくらいに。
ひとり悲しく涙する時でさえも、
そんな「声」出すことは我ら世代になればもうほとんどない。
心配しつつ、思う。
こんなにまっすぐ素直に泣けたら、橋本ももうちょいスッキリするんだろうに。
と、彼女横目に人類平等に分け与えられてるはずの「表現の自由」を
半分も使ってない自分に、ふと気づく。
彼女に何があったのかは知る由あらず。
ましてやここはニューヨーク。
男がオトコ作って出てったのかもしれんし、
給料が「50万ドル」“に”下がったのやもしれん
(以前出会ったウォールguyのように)。
自然とカバンに手がのびる。
かつてあれほど必要だったそれ。
今日、橋本自身がクラシアンとなり、
1人のニューヨーカーの蛇口を救う。
降り際に言われた「ありがと」。
付け加えられた「すごく柔らかい、これ」
に、
「でしょ。…ジャパニーズクオリティ」
で応える隠れ日本宣伝番長、橋本。
橋本の半分は優しさでできてますよ(願)
#日本にいたころ、通勤時間片道2時間半
#彼女元気にしとるだろか
#アメリカのポケットティッシュ、ほぼ「紙」